プロローグ

音楽家で成功するには、小児のときから音楽教育を受けるのが絶対条件」といわれている。 確かに音楽の上達は若いほど早い。 音楽以外の分野と比べてもその上達の早さは突出しているように思われる。 これは一般的には、小児期でないと獲得できない音感があるからと考えられているようであるが、はたしてそうであろうか? 私は16歳からギター、30歳からピアノ、最後ウッドベースと音楽をやってきた。 独学からのスタートで、習い始めたのは30歳台後半のピアノからだったため、決して音感、リズム感は良いとは言えなかった。 ハンディキャップを負っている、または大きな失敗をすると人間悲観的になりがちだが、実はそれらには成功へのヒントがいっぱい詰まっているのだ。 ミドルエイジというハンディを武器に、長い失敗だらけの音楽歴を栄養にして、初めての正式な音楽教育を受けるため、ジャズ教育の名門、アメリカ、ボストンのバークリー音楽大学に入学することにした。 私にしかできないことがあるはずだ、という思いを胸に。

私は2005年8月に、その年の卒業生としては最高齢でバークリーを卒業することができた。 それまでにももっと高齢で卒業した人はいるだろう。 しかし、まったく音楽と関係ない仕事をしていた人はほとんどいないに違いない。 私の経験を発表することで、不幸にして小児期に音楽教育を受けず音楽をあきらめていた人や行き詰まりを感じている人、更には音楽教育に携わる人にヒントが提供されれば幸いである。

これはジャズという音楽領域でのストーリーであり、クラシックなど全ての音楽にそのまま当てはまらないかもしれないが、是非、自分の音楽に合わせて考えてほしい。 おそらく、幼児、小児期から音楽教育を受けた人にとっては、このエッセイはピンと来ないだろう。 低次元の話と思われるかもしれない。 しかし音感を無意識的にではなく、大人になってから意識的に身につけるということは、音楽への別方向からの取り組みであると思うのだ。

一般人からみると音楽家の能力というものはただ「すごい」と感じるものだが、そんな音楽家に誰でも、いくつになってもなれると思う。 音楽は誰にでも可能性のある、人間のすばらしい能力のひとつなのだから。

「何故バークリーに行こうと思ったのか?」とよく聞かれる。 理由はいくつかあるのだが、私は興味の対象が多く仕事以外にいろいろのことをやってきた。 いわゆる多趣味人間でその多くの人が陥りやすいように、どの趣味もある程度のところまでしか到達しない。 これではいけないと思い趣味を切り捨てていったのだが、音楽だけが最後まで残った。 これだけは中途半端に終わらせたくない。 プロになるのが一番の近道ではあるが、今の私が音楽で仕事を得ることは不可能に近い。 今の仕事は当然辞めなければならない。 そんなことを考えている内に、ミュージシャンという今までとはまるで違った後半の人生、二つの異なった人生を送ることに興味が沸いた。 今の人間の寿命から考えると充分可能に思えた。 私は臨床検査技師という病院のスペシャリストとして長年勤務してきたが、病院が公立であったため公務員であった。 当時不況下で公務員がもてはやされた時期ではあったが、年をとるとだんだん難しくなると思い途中退職した。 十分な計算と計画の元、次の人生の出発点としてバークリーに入学することにしたのである。

人生後半をミュージシャンというのは、かなりの無理があるのは充分承知している。 しかしジャズという音楽はそれを可能にしてくれるように思う。 それに、認知症などの予防には最高の職業ではないか?

バークリーを選んだのは成功だった。 私のような年配者が大学に行く場合、言葉の障害を除けば、米国は本当に馴染みやすい。 教授に対してでもファーストネームで呼んだりする国柄である。 年齢なんてまるで関係なくみんな接してくれる。 これが一番ありがたかった。 ジャズ音楽教育では、その歴史と実績において世界最高といえるバークリーの教育システムはやはりすばらしいものがあった。 音楽を勉強する環境が全て整っており、毎日音楽合宿をやっているような日々を過ごすことができた。

音楽留学、特にバークリー留学を考えている人にとって、このエッセイが役に立つようであればうれしい。 言葉の記述にあたっては一部原語や専門用語を用いたが、それは留学を考えている人を意識したことと、雰囲気を感じてほしいと思ったからで勘弁していただきたい。

第一章へ続く