第3章 第2セメスター

春は楽しい

春は、桜が5月の始めに咲くので、日本より1ヶ月程度遅く訪れると考えて良い。 極寒から解放されたという気分もあるが、気候も良く、一年中で一番好きな季節だ。 1月にボストンに着いた時、この街は緑が少ないと思っていた。 ところが5月になると木々に芽が吹き出すと共に、街路樹などの木が一斉に花を咲かせる。 冬の間も日光を遮る常緑樹がほとんど無いので、緑が少ないと思っていたのだ。 大木にいたるまで花の木が実に多い。 アパートがほとんどということもあるが、忙しいボストニアンにとって花壇で花を育てるよりは街路樹に花が咲いたほうが楽なのかもしれない。 それに花の木は冬に葉が落ちて日光を遮ることもない。

こういう緯度の高い土地の人の日光に対する執着心は想像以上のものがあるようだ。 この時期公園で日光浴をする若い女性が目に付く。 目のやり場に困ることもしばしばで、ほんとうに困ったものだ。 男性もいるのだろうがあまり印象がないのはどうしてだろう。 こんな状態なので、秋口には彼女たちの肌は日焼けして、日本人より色の黒い白人女性が多くなる。 春は本当に楽しい。

桜は丁度春セメスターのファイナルと重なるためつい見過ごすが、チャールズ河沿いを始め結構多いのでお勧めである。 バークリーの本館(1140 Boyleston)の正面にも左右2本しだれ桜があるがなかなか大きくならない。 こちらでは寒さのため桜の木が上に伸び難いのかもしれない。

夏セメスター

夏セメスターは5月末に始まり8月前半に終了する。 しかし、この時期は夏休みにあたるので、普通、アメリカの学生は夏休みをとる。 夏休みにアルバイトをして次の学期の学費に充てている学生は多いであろう。 しかし、我々外国人留学生は大学以外で働くことは認められていないので、夏セメスターを取らないなら日本に帰るかまたは旅行などをして楽しむかということになる。 日本に帰るにはその間アパートをどうするかという問題がある。 居ない間のアパート代約30万円はあまりにもったいない。 運良くその間サブレットしてくれる人が見つかればいいが、この時期同じことを考えている人が多いので値引きしても難しい。 大きな楽器や荷物のことも問題だ。 しかし、学生寮に入っている人はこの点都合がいい。 夏の間、寮はサマースクール生が使うために出なければならない。 夏セメスターを受けるなら安くアパートを借りることができるし、帰国するなら業者に荷物を預けて帰国すればいい。

夏休みの過ごし方として、もう一つの選択肢がある。 それは他の大学の授業を受けて、その取得した単位をバークリーに移すことである(トランスファー・クレジット)。 バークリーの1単位当たりの授業料は675ドル(2005年秋)だが、クインシー大学では、学科によって違うが、100ドル台からある。 これらの大学では一般教養科目のみ対象だが、もし高校を卒業してバークリーに来て、Degreeの資格を取りたいなら、そして安くあげたいならそれは有効な手段である。 もちろん、他の芸術大学の授業を受けてみるのもおもしろいかもしれない。 すぐ近所のクラシックのNEC(New England Conservatoire)やボストン美術館付属美術大学はバークリーと提携していてお互いの施設を使うことができる。 バークリー生はボストン美術館入場も無料なので私も何度か利用した。

私はパートタイムで授業を取って残ることにした。 パートタイムとは12単位以上のフルタイムに比べそれ以下の単位の授業を受けることだが、アドバイスセンターに申請するなど少し面倒な手続きが必要になる。 夏セメスターは生徒が少なく、講義する先生の数も講座も少なくなるため選択肢が少なくなるので、夏にフルタイムの授業を受けるのは利口な方法ではない。

さて、何を選択すべきか?  プライベート・インストラクション(プラベ)はメジャーを何にするかによって取らなければならない単位数が違う。 パフォーマンス・メジャーといって演奏が主体のメジャーをとれば8セメスター、作・編曲などの大部分のメジャーでは4セメスター、プロフェッショナルミュージック・メジャーといってその中間の性格のものでは6セメスター必要である。 これは早めに済ませないと卒業が長引く結果になる。 プラベは取ることにした。

初セメでジャズ理論は難しいところから入ったので必須授業は最後のジャズ理論4だけである。 十分に消化できていないかもしれないので、この夏にその復習と理論4の予習をしておこうと思い、代わりにクラシックの音楽理論であるTraditional HarmonyかTraditional Counterpointを考えた。

それに何か一つ、楽器のテクニックを磨くクラス、ラボを加えようと思い、ベースライン3を選択した。

イアトレーニング1は楽だったけど、年のことを考えるとそんなに早く身に付かないかもしれない。 ET2のワークブックを先に買って予習しておくことにした。

まだすべきことはある。 プラベのレベル3ではベースの弓引き(アルコまたはボーイング)の試験があるのに未だ習ったことがない。 バークリー以外の先生からこの夏レッスンを受けるつもりである。 英語ももっとできるようにならないと辛い。

かくして、このセメスターの目的は休養と秋セメスターへの準備と位置づけた。

 

トラディショナル・ハーモニー

トラディショナル・カウンターポイントというクラシックの対位法のクラスをとった。クラスに行くと比較的若い女性の先生だった。 教室に入ったとき彼女はボードに何か書いていたが、一瞬振り向いて私の方を見たとき「チッ!」というような顔をした、と思った。 ボードにコース名や自分の名前を書き、「プロフェッサーかドクターと呼ぶように」と言った。 日本人的感覚からすると嫌みなやつに聞こえるが、もう一人同じようなことを言った先生がいた。 テレビでも同じようなシーンがあったのでよくあることかもしれない。 教授と言ってもその前に「助」が付いたり講師だったりするが、ファーストネームで呼ぶのがここ流なので、誰もそんな呼び方はしないよ。 しかしこの先生、私の名前を読むとき、他の先生はうまく「Shigeyuki Uno」と発音できなくて「Call me Shige」と私が言うのだけど、きれいにローマ字の発音をした。 しかし、気に入らないのでこのクラスはドロップした。

代わりにアドしたクラスはトラディショナル・ハーモニー1である。 教科書に使うのは “Tonal Harmony” という、音楽家は一家に一冊置いておきたいようなすばらしい本だ。 しかしこの本がブックストアーに中古しかない。 かなり高い本だが、中古でもまだかなり高い。 比較的きれいなのを選んで買ったが、本の最初の方は問題の答えが鉛筆で書き込んである。 元の持ち主はどうやら途中でギブアップしたらしい。 米国では使った本をまた本屋に買い取ってもらうのは普通のことらしく、結構高価でリファンド(Refund,、払い戻し)してくれるようだ。 レシートは残しておこう。 一般に米国人は少しぐらい汚くても気にならないようだ。 本当かどうか知らないが、バークリーの近くのバージンレコード店でCDを買って、聞いた後(コピーしてるかも)気に入らないからと返品をしているやつがいたらしい。 最近、この大型店は倒産したという話。

日本で音楽理論の本を読むととても難しい。 第一に言葉が難解で、無理に外国語を訳したのであろうが、とにかく馴染めない。 この“Tonal Harmony” という本は分かりやすく、このクラスを学んでよかったと思う。 クラシック音楽が如何に禁則が多いかとか、ジャズ理論との関係などがよく分かった。 先生はクラシックギターを持ち込み、それを弾いて説明してくれる。 ファイナルでは本当に短いのを作曲して提出するのだが、理論通りに音符を書いていけば結構様になる曲が出来上がるから不思議。 このハーモニー1は少し勉強すればテストアウトして単位を得ることも可能だが、日本の音大で学んでいないなら取った方がいいと思う。

 

ベース・レッスン

ベースライン3は急にレベルが上がって大変だった。 この先生、きびしいので有名らしい。 同じ名前のクラスでも先生によってまったくレベルが変わることを痛感した。 プラベは初セメと同じBruce Gertz のレッスンを受けた。

さて、弓引きのレッスンだが、Dan GreenspanといってNECでミロスラフ・ビトウスとデイヴ・ホーランドに習ったという先生につき、週一回バスに乗りケンブリッジの彼の自宅に通った。 基礎を習った後はいきなり難しいバッハの曲を次セメスターのファイナルまでに仕上げなければならない。 本当はもっと易しい曲でよかったのだろうと今になって思う。 たまたま、プラベの先生からもらった曲がその曲だったのでそれをやらなければならないと思いこんでいたようだ。 ベースの弓の種類と持ち方は大きく分けて2種類あるが、ダンからはフレンチボーを習った。 日本ではその奏者は少ないがうまくなればきれいな音が得られる、はずである。 しかし、難しい。

この夏セメは一生で一番練習をしたという時期にしようと思った。 たいていの名プレーヤーは死ぬほど練習をした一時期があるようだ。

初セメではベース用のロッカーは借りずにアパートからせっせとベース用のタイヤを付けて転がしていた。 大学まで歩いて5分の場所だが、4ヶ月後には車輪の軸が金属疲労で折れてしまった。 コントラバスとドラムスの学生は楽器用のロッカーを借りることができる。 楽をしようと夏セメはロッカーを借りることにした。 コントラバスを入れるロッカーなので非常にでかい。 アコースティックベースの学生だけが1セメスター、25ドルで借りることができる。 ここに20ドルで買った背の高いイスも保管して、毎日練習ボックスの中に立てこもった。 この当時は練習室を借りるのに受付で学生証を預けて鍵を借りなければならなかった。 1回2時間が限度なので、2時間経つと受付まで行って”Renew Please” と言い、もう2時間練習した。 3ヶ月の間、土、日も含めて休んだのは1日で、毎日4時間の練習をしたが、まだ少なかったかもしれない。 しかしあの環境ではそれが限度であった。 練習室というかボックスは1.5畳ほどのスペースで、ベースにとっていやな跳ね返り音があり、隣にサックスとか入るとうるさい。 ドラムスの音も結構聞こえてくる。 隣に管楽器が来たら、耳栓をして練習していた。 これは効果があった。 今セメ用と、秋セメ用のスケールと分散和音の練習をひたすらやった。 次のセメスターで楽をするために。

あそこでベースの練習をしていると、ドアをノックしてセッションのお誘いがよく来るということを聞いていたが、初セメのある日最初のノックがあった。 学生の様には見えない。

「きょうの夜ギグがあるのだけど空いていないか?」

「どんな音楽を演るんだ?」

「パーティーで演奏のふりをするだけでいいんだ。」

「?。。。。。」

「テープを流すから演奏しているふりをしていればいい。」

「。。。。。。」

「演るのか、演らないのか?」

「や、止めとく。」

これだけたくさんのミュージシャンがいるボストンで何を考えているのだ。

安く上げるつもりでしょうが、エレキベースでチョッパーとかやっていたらどうしたらいいのだろう。 ギターは振りをしやすいけど、ドラマーとか難しいだろうな。

とか、いろいろ興味はあるけど。 楽器がかわいそうだ。

 

キャンパス

バークリーはいわゆるキャンパスというものがなく、近所に散らばった10以上のビル全部か一部を使っている。 その中で一番キャンパスらしい雰囲気をもって賑わっているところといえばマサチュウセッツ通り(Mass. Ave)に面した150(One Fifty)ビルの前かもしれない(150Mass Ave)。 ここは別名Berklee Beachともいわれているが単なる舗道上である。 事実、この前でボーと日差しを浴びていると気持ちがいい。 このビルにはたくさんの教室と練習室、アンサンブルルームがあるので人の出入りが激しい。 特に授業が終わる各時50分から次の授業が始まるまでの10分間は授業の合間に空気やタバコを吸いに出てくる者や登校してくる者、帰る者、他のビルの授業へ移る者、話し込んでいる者、単なる通行人などで大混雑する。

バークリーの代表住所にもなっている1140Boylestonビルは単にEleven Fortyと呼ばれている。 ボストンのほとんどのビルがレンガ外壁なのに比べここは古いながらも趣のある白い外観を持っている。 1階の2つの小ホールではほとんど毎日学生のリサイタルが行われている。  ここにはピアノ科やサックス科、ボイス科、ドラムス科、ベース科などが各階に入っているので良く訪れる。 一階には唯一のカフェがあるが、ここの昼のサンドウィッチはお勧め。 ここの陽気なおやじによく「Young man!」って言われたものだ。

ウチダビルはBoylston通りに面した一番新しくきれいなビルだ。 他のビルが番地と通り名で呼ばれるのに対してここはUchidaと呼ばれることが多い。 ここは入学や新学期の手続き、学費の納入などバークリーの中枢的役割になってきており、地下にはパーカッション科、上にはアンサンブルルームそれに一階には音響がいいと言われる小さいホールを持っている。 特に我々外国人は頻繁にこのビルのスチューデント・アドバイス・センターに来ることが多い。

3000人もの学生を擁するようになると教室が足りなくなるらしく、いろいろな所に教室が分散していて、教室の場所を突きとめるに苦労することもある。 お隣の教会の一部の部屋が使われたりもする。

 

クラブ活動

バークリーのクラブ活動はそれほど活発ではないと思うがここ独特のものがありおもしろい。 BGLAM (Bisexuals, Gays, and Lesbian Artists and Musicians)、  BOSS (Berklee Older Student Society)、 Women Musicians Network、 Yoga Society at Berklee などの他に、Black Student Union、 Latino Societyなど民族ユニオン、Korean Club、 Japan Club など各国のクラブがある。 Japan Clubは毎週金曜日夜にウチダビルの5階ホールでジャムセッションをしている。  ウチダビルは日本人のウチダ氏が寄付したビルだが、Japan Clubは優遇されていると言う人もいるようだ。 私は会話も余裕ができて、時間があれば「Old Student Club」とか「ヨガクラブ」を考えていたのだが、Old Student Clubの入会資格が30才以上ということを知って、あきらめた。 30才とは、、、、若すぎる。

ここボストンはヨガの人気があるようで、スーパーにもヨガの雑誌やヨガマットを置いてあったりする。 ヨガクラブはおそらく女の子がほとんどじゃないだろうか? 英語も片言の日本の親父が入るにはかなり勇気がいる。 卒業前になってヨガのクラスが新設され、授業として取ることができた。 ヨガは私が20才代から興味があって、本を見ながらやっていたのだが、ここに来て正式なレッスンが受けられたのはよかった。 昔はヨガをやっていると言うと奇人のように思われたが、最近はすっかり市民権を得たようでうれしい。 未だ美容体操ととらえられている面もあるのは困るが。