ボストン通信 Vol.1 Feb.20, 2003
毎朝、インターネットで気温を見るのが習慣になった。
今朝は な、なんと0°F(-18℃)、耳も隠れる帽子を着よう。
0℃近くに気温が上がると、「きょうは暖かいね」と言ってしまう。
そんな極寒のBostonから第一報です。
早いもので、一ヶ月と一週間、疲れる、疲れる、といいながら
多くの人の助けを得て、なんとか無難にクリアーしてこられました。
元気でやっています! 感謝、感謝!
大学生活も宿題と課題の多さに悲鳴をあげながら、
少しずつここの仕組みが分かってきて、おもしろくなりつつあります。
どうせ寒くてどこにも行けないし、今学期を乗り越えれば後は少し楽になるはず。
ボストンの春はすばらしいと聞くので、それを楽しみにして
ひたすら過ごす毎日、毎日です。
というと、なんか辛そうだけど、文才があれば本が書けるぐらい
ほんと、いろいろあった!
それにしても、なんと食文化の貧しい国なのだ!
世の中、今どうなっているの? テレビはほとんどニュースないし
おもしろくない(というか分からない)。
(ケーブル・テレビにすりゃいいのだけど、見る時間もない)
本国では、インフルエンザが流行っていると聞きます。
ご自愛ください。
(あとがき)テレビニュースは夜10時頃あるが、ローカルな話題がほとんどで、
CNNなどを見ないと世界のことはわからない。
私はインターネットによって日本や世界のニュースを得ていた。
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ボストン通信 Vol.2 Feb.20, 2003
昨日、初めてボストンでジョギングをした。ジョギング・コースのチャールズ河は淀んでいて、まだ薄く氷が張っていたが、MITがある対岸からみる景色はなかなかです。
ボストン通信、またの題名「ミドルエイジからのバークリー留学」第2号です。
私が10余年通ったフジジャズスクールのホームページにこの「ボストン通信」が載せてもらえることになりました。
ということは、不特定の人の目に触れることになり、力が入ります。
今回は、最初の奮戦ぶりを戦争中のアメリカからお伝えします。
チェックインの日、どこの校舎へ行けばいいのか知らされていなかった。 それらしき列に並んだところ、私の名前が な、ない!(別の登録だった)。 となりの校舎で並んで、予定表やら冊子、それに翌日の実技テストのための譜面を渡される。チェックの入っている場所へ行けという。入学許可の部へ行き、順を待っていた。「なんだ結構年輩の学生もいるじゃないか!」。。。どうも3人知り合いらしい。「あ、親が来ているのか。。。。」
すんなり済んで午後、ホールでのオリエンテーションに出席する。さっぱりわからない。
第2日目はインターナショナル・スチューデント(われわれはこう呼ばれている)の登録、そこでまた入学許可へすぐに行けという。昨日済ませたのに(ここには4〜5回通うことになる。話が長くなるので別の機会に)。
昼くらいからプレースメント・テスト(実技)の試験、ピアノ伴奏で自由曲、とブルースをいろいろなリズムとテンポで演る。リーディングは2小節ぐらいの短いフレーズ。ウッドベースでカントリーとかファンクなども演らされる。結構楽しんだ。ここでプライベート・インストラクターの希望はあるか聞かれたのでBruce Gertz の名前を出したら、そのとおりになった。ここで楽器クラスのレベルやアンサンブル・レート(どのレベルのアンサンブルクラスが取れるかの評価)が決まる。実技は評価が高くても単位はもらえないが、この日3時からある筆記試験はそうではない。「これはレベルの近いクラスに入るための試験で、グレードは付かない。」と書いてあるが、実は単位はもらえるのである。それを知っている私は英語版のアレンジの本(藤井先生に感謝)で勉強してから試験に臨んだ。 初めにイヤー・トレーニングの試験があり、ハーモニー(ジャズ理論)、アレンジ(編曲)とつづく。ハーモニーの問題を書き込み始めてから10分位で一人、二人と室を出ていく。お手上げらしい。結局その室は私一人になり、別の一つの室にまとめられた。試験は2時間位と書いてあったが、何時まででもやらせてくれるらしい。7時30分で終わっていいかと聞かれた。それで終わることにした。最後に残ったのは私と同じ日本人のK君だけだった。4時間30分の間、頭がフル回転だった。 疲れたが充実感が残った。(注:私が遅いだけで中には解答して早く出た人もたくさんいたようだ。)
その週の土曜日、メールボックスにクラスやスケジュール、それにレートなどが書き込まれた紙が入る。ハーモニーは3からアレンジは2からのスタートとなった。これだけで8単位得したことになり、卒業に要する学費を約??万円(一単位約$550)浮かせたことになる。 ベース・ラインとリーディングは2からのスタートになった。
次の週から2週間は授業を受けながら、アド、ドロップ、テストアウトの週である。このとき、クラスを取るのを止めたり(drop)、他のクラスを取ったり(add)、易しすぎると思ったらテストだけ受けて単位をもらい(test out)別のクラスを取ったりすることができる。
バークリーにはミュージック・テクノロジーという必須科目があり、これをテストアウトすることにした。過去の問題集を手に入れ、万全で望んだ試験は楽々パス、2単位を獲得。2単位分何かをアドしなくてはいけない。
テロの影響で今年から我々外国人は最低12単位を取らなくてはいけなくなった。 一部だけ授業(パートタイム)を取って長く居座ることができなくなったのである。
締め切られていたが、無理矢理ベースラボ(実技、1クラス0.5単位)を2つとアンサンブルを1クラス追加した。
これら一連の単に学費を浮かせたい、早く帰りたい、という頑張りが更に自分自身を追いつめていくことになるとは、現時点では分からない。 次回は授業の様子などを書きます。
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ボストン通信 未送信 April, 2003
バークリーはバークリー・パフォーマンス・センター(BPC)という大きなホールをもっている。(前回の写真では入口だけだが、中は広くて大きいよ) 大学が招いたミュージシャンのコンサートは早めに行けば学生はダダでチケットをもらうことができるほか、当日でもチケットが残っていれば$1で入場できる。そういうことも知らなかった私はテイク6を聞き損なった。 少し余裕ができたのか、掲示板やインターネットをチェックし、この8日間ですばらしいコンサートばかり4つを聞いてしまった。なんと、今日はソニー・ロリンズを最前列で聞いた。ということで、予定を変更して、興奮さめないうちにボストンのコンサート事情について送ります。
最初は4月4日のBPCでの「Four by Four」と題された、副学長でもあるゲイリー・バートン(vib.)による、4人のバイブ奏者の追悼コンサート。 彼のスピーチはあまりにもうますぎる。
次はボストンで有名なライブハウス「レガッタ・バー」でミリというボーカルのコンサート。目的はそのベースのダン(ミリの旦那)なのですが、彼の使っていたベースを買った関係でいろいろ面倒みてもらっている。 いままで聞いた中では最高のベースの音色だった。この音色には秘密があるのですが。もちろん演奏も最高でした。
次はミッシェル・カミロ(p)をバークリーが招いて、BPCでのコンサート。彼は本当にすごかった。こういうとき、バークリーは積極的に学生を参加させる。このときは前座で学生バンドが出演するだけでなく、上手い学生はミッシェル・カミロとのコンサートが実現できたりする。(今や有名人のベースのエスペランサ・スポルディングはこの常連の学生だった)
ソニー・ロリンズはタダというわけにはいかないけど、日本に比べると夢のように安い。ロリンズは白いジャケットにサングラス姿で現れた。すごいオーラが放たれている。後ろのおばあちゃんはキャーキャー言っているし。 声はやはり老人の声で、足も少し悪いようにみえたけど、演奏は派手に体を動かし吹きまくっていた。サイドメンは知らされていなかったけど、なんとドラムスにジャック・ディジョネットでした。
ジャック・ディジョネットといえば、私のアパートから200mのところに小澤さんで有名な(今はもういないけど)ボストン・シンフォニーがあるが、そこで9月にキース・ジャレット・トリオの演奏が決まっている。 シンフォニー・ホールには夕方になると中年夫婦が手をつないでぞろぞろと向かう姿がみられるが、クラシックファンにも堪えられないボストン。開演当日にチケットが格安で買えるラッシュ・チケットというのもあります。
バークリーはBPCの他にも中小いくつかホールがあって、教授陣の演奏、生徒のリサイタル、ワークショップなどが毎日どこかであるので、かなり刺激になります。これは誰でも自由に無料で聞くことができるので、旅行などで来られることがあれば、バークリーのホームページは要チェックです。
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ボストン通信 Vol.3 May.22, 2003
(写真)期末試験が終わって近所探索に行った。 ボストンは京都と同じく新旧混在した代表的な観光地。人気のダック・ツアーの水陸両用車は第二次世界大戦中の上陸用船艇を改造したものでチャールズ川も泳ぐ。 トリニティ教会とニュー・イングランドでは一番高い60階建てのジョン・ハンコックビル。 教会前の広場の木々の緑は5月5日でまだこの程度。
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ようやくボストンにも春がやってきました。 街路樹や公園の木にいろいろな花が一斉に咲きました。 白や赤、一見桜と見間違うような花、サルスベリのようでサルスベリでない、とにかく知らない花の木がいっぱいです。
遂に初セメスター(学期)終了しました。前回宣言通り、授業の様子を。
初セメで絶対とらなくてはならない学科にイアー・トレーニング(ET)とハーモニー(理論)、アレンジ(編曲)がある。前回、ETは書かなかったが、ETは1から4まで必須科目で、なぜかET1からやっている。 なぜか、と書いたのは、耳があまりよくないのは自覚しているけど、ET1はあまりにも初歩過ぎて、授業も退屈。 入学時のプレイスメント・テストやwebでの問題も易しかったので、何かの間違いと思い、テストアウトすることにした。 ここではコンピューター入力を学生がバイトでやっていたりして間違い入力もあると聞く。 ET部門へ行くとテストアウトはET2からしか予定がない! やっと、予約をとって行くと、ET1教科書の最後の方の譜面を出して、ソルフェージュを指揮しながら歌えという。 バークリーではイアートレーニングにソルフェージュを採用していて自分で指揮をしながら移動ドで歌うのである。 歌を歌わされるとは思わなかった。 見るとシャープが2つで16分音符もある。 シャープ系は苦手だ。「ジャズではシャープ系はあまり使わないので」というと、ページをめくって、また同じDの譜面を歌えという。。。。「このやろう!」 実際は歌の試験を初見で歌わされることはあまりなく、1週間以上前から曲を知らされるのが普通だ。 なにか勘違いされたか、バカにされたか、いやな目に遭ったと思った。
ここは気持ちを切り替えて、、、、、理論とアレンジがたいへんなので、ET1は楽だし、これでいいか、と。 次回にET2をテストアウトすればいい、ということで自分を納得させた。
ET1の授業はリズムと歌を指揮しながらソルフェージュで歌うこと、簡単なメロディとハーモニーの聞き取りなどで、まあ楽しいような。 先生はアンサンブル科のトランペッターで、まだ慣れていないのか変なことを教えたりする(と思う)。 よく休むし。
理論(ハーモニー)は1から4まで必須で、「初セメの理論3」というクラスからスタートした。これは、1学期で2学期分の理論2と3をやってしまうという強行軍のクラスだった。
ルーズなジーンズでアロハシャツ、年齢不詳の先生はスターバックスからコーヒーを持ち込んで授業。 声が小さい上に英語が分かりにくい。アメリカ人の生徒も時々わからないと言っていたから私には当然無理。 ピアノを殺人的な音で弾く。 毎回、たくさんの宿題をくれる。
50分間、週2回の英語ヒアリングの時間と割り切った。 毎回、宿題をやるために教科書を読む、宿題の添削で更に理解する、という図式である。 バークリー理論は更に複雑になってきているような気がする。
1クラスは12〜15人程度。 クイズ(というと楽しそうだが、こちらではちょっとした試験を指す)といって授業中の質問によく答えるのも評価の対象になる。 アメリカ人は活発で答えが早い。 私などは誰かが答えてから質問の意味が解ったりする。 われわれ外国人はたいていおとなしい。 この先生は名指ししないので助かる。 評価は、出席、クイズ、宿題、中間と期末のテスト、中間と期末のプロジェクトで決まるが、それらの割合は講座によりいろいろ。 ここでプロジェクトというのは学習課題のことで、たとえば理論2,3の場合、いままで学習したことを盛り込んでブルースや32小節の曲を作曲し、それを理論分析、さらに生音やパソコンの音楽ソフトで録音して提出する。 今回の録音はクラスで皆の曲を演奏することで免れた。 アルトとピアノ、私もベースで貢献した。 知識は使えないと意味がない、そういう理由で、プロジェクトは大きなウエイトを占めている。
アメリカの大学は入ってからが大変というが、目的をもって勉強している訳だから当たり前という気がする。 また、先生に対する評価もある。 生徒の成績が悪いと先生も評価は下がるし、実際に生徒も先生を評価する。 クラス(先生)の評価のアンケートを今回2クラス書かされた。
アレンジ2のクラスは週1回2時間ある。 終わるとく〜たくたになる。 名指しで質問されるのでうかうかしていられない。 テンポが速い。 ボードをノートに取ろうとすると聞くのがおろそかになりついていけない。 ボードの文字はむちゃくちゃな文字だし。 でも、この授業がおもしろいし好きだ。 はじめは何となく聞いていたけど、途中からちゃんと聞かないともったいないと思った。 このD. Nolanは熱血教師という感じで、すごくきびしく、すごくやさしい。 アレンジの手法とその譜面のプリントを毎回20枚ぐらいくれる。 どうやら出版しょうと思っているらしい(本人はクレイジー・アレンジという本のタイトルと言っていたが)。 初めはCDで聞かせてくれたが、後半は未だできていないらしい。 が、ピアノがすごくうまく、ピアノで聞かせてくれる。
このクラスは日本人が4人いて、我々はジャパニーズ・フレンドと呼ばれている。 初めは「さき(酒)、すし」を連発していたが、なぜか「電車に乗って神戸に行きました。」とはっきり喋る。このクラスのほとんどはフィルム・スコアリング(映画音楽)などをめざしていて、大学で作曲などを学んでから来ている者が多く、そういう意味で初心者の私はたいへんでした。
試験も3時間では書き終えられないし、最期のプロジェクトも自分で選んだ曲を5管とリズムセクション(ギター、ピアノ、ベース、ドラム)で、パート毎に決められた手法を使ってアレンジするというものでした。
アレンジの必須科目はライティング・スキル(譜面の書き方)とアレンジ1のみで、2は取らなくてもよかったということを大分後で知った。
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ボストン通信 Vol.4 July.30, 2003
(写真)チャールズ川上流は大学のボートクラブが点在している。 エイトの練習風景。 川の水もここまで来るときれい。 チャールズ川河口の海と接するところはダムになっており、流れは穏やかで水は汚い。
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残暑お見舞い申し上げます。
住民の平均年齢が26才台といわれるボストン。 今は夏休みで、多くの学生がそれぞれの州、国に帰って 、し・ず・か! 平均年齢も上がっていることでしょう。
それでも、夏のプログラムをとる学生や観光客でにぎわっている。
私のジョギングコースでもあるチャールズ川では、ヨット、ボート、カヌーやダック・ツアーの水陸乗用車、川岸ではローラー・ブレード、ジョギング、サイクリングなどが、またハッチ・シェルという名の野外ステージでは無料のコンサートが頻繁に行われている。
この時期、太陽が建物の間に沈むのが8時ごろ(注:夏時間)、夕焼けがとてもきれいで、人々は西に向かって座って、ロマンチックな雰囲気。
春のボストンもよかったが、夏もいい。 かなり暑い日もあるけど建物の中は冷房がガンガンに効いている。 楽しもうと思えばいくらでも楽しめそう! おっと、遊びに来ているのではな〜いのでした。
私はこの夏は、授業は少なくして、ベースの練習に専念。 また、秋セメにとる科目をこの夏に勉強しておいて秋を楽に乗り切る、という作戦にした。 このもくろみは大正解。 練習室はがらがらで静かな環境でよく練習できる。
、、、、と思っていたら、「な、なんだ、この団体は!」
4th of July(独立記念日をこうよんでいる。気持ちはわかるけど)のあたりから、5週間プログラムの学生(ほとんどが高校生の様)が入ってきた。 演奏だけのプログラムなので、練習に使っている個室の向かいのアンサンブル・ルームもフル回転。うるさーい!
初セメスターでは、面白かったアレンジ2の成績が悪くて、授業の英語が聞き取れなかったハーモニー(理論3)がよかったという皮肉な結果に終わった。 ハーモニーで作った曲もなかなかグーで、評価も最高のA(本当はサービスかも?)。 単純な性格なもので、「これは作曲を勉強して帰らねば!」、ということで、この夏はクラシックの理論を勉強中。 夏学期は講師もパートタイムが多く、誰に習うかは重要。 この学期から便利になって、どの講座に空きがあるかが自宅ででもインターネットで分かるようになった。 今、バークリーではコンピューター化が急速に進んでおり、なんと、この秋からの新入生は2500ドルのマッキントッシュとソフトの購入を義務づけられた。 今や世の中ウインドウズばかりだが、バークリーの中はマック一色、マックのパソコン・ショップまである。 ウインドウズ・ユーザーはマックの操作法を強いられる。
話が逸れたが、トラディショナル・ハーモニー(クラシックの理論)の講座に行って驚いた。 ケビンが右最後部に座っていた。 彼とはよく一緒になる。 初セメではアレンジ2とジャズ理論3が一緒で、この教室は偶然にも理論3と同じ教室であったが、彼は何時もその席、アレンジでも右最後部だった。 彼は授業を受けなくてよいくらい良く知っている。 聞くと大学で既に勉強してきたみたい。 そういうと、講師のプロフィールをみるとほとんど2つ位は音大を卒業している。なるほど、二つ目の音大だったら首席で卒業するのも難しくないし、奨学金も簡単に取れそう。
それにこのクラスは女性が多い。 半分は女性。 しかし、朝9時の授業なので皆テンションが低ーい。 先日、中間の試験があり、生まれてはじめて「持って帰って、家でやって来い」という試験を経験した。 ラッキー! (アメリカではお持ち帰り試験というのがあるのだと後で知った) 夏セメは12週と短い。 もう後2回しかない。
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ボストン通信 Vol.5 Dec.26, 2003
(写真)私の住んでいるアパート内の一角と愛器のベース。
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ボストンは今、学生がそれぞれの州、国に帰ってしまって、ひっそりしています。 一ヶ月前、このアパートの前の小さな広場に設置されたクリスマスツリーは、クリスマスになっても遂に一度も電球が点りませんでした。 ここのクリスマスは静かで正に日本の元旦のような雰囲気。 そんなクリスマスが終わったボストンから久しぶりにお届けします。
私のような年輩者がバークリーで学んで大丈夫か? いじめられていないか? 毎日泣いているのではないか? そんな年をとってから音感ができるのだろうか? と思っているあなた! そう、あなたにお答えします。
ここの学生は、私が最高齢者ではないものの、ほとんどが20才前後。 しかし、アメリカ人学生は見た目がかなり老けてみえる(よく見るとやはり若い)ので、それが私を錯覚させてしまい、私自信に私の違和感を感じさせない。 彼らアメリカ人は自分が若く見られるのがいやみたい(そこが日本人と違うな)だし、今まで一度も彼らから年を聞かれたことがない。 また、アメリカ社会そのものが年輩者を別扱いする風習が無いので、非常に私はやりやすい。 教わった先生はみんな名前をすぐに覚えてくれるし、会ったら声をかけてくれる。 クラスメートも結構気楽に声をかけてくれる。 誰も別扱いしない。 バークリーはウッドベースの学生が不足しているので重宝されるという面もあるかもしれない。 先生か?と聞かれる時もあるが。 英語が堪能ならこんな楽しい所はないだろう。 ただし、ここは韓国人の学生が増えていて(全体の1割位)、今は日本人より多いようにも感じるが、日本と韓国の学生からはたまに年を聞かれる。
音感の問題、これは私自身興味があるし、私の例は実験のひとつと考えている。 いままでのところ、これは問題ないように思う。 イアートレーニングのクラスでも順調に成果はあがっている、が、かなり努力の結果なので、若い人よりは遅いかもしれない。 個人差もあるし比べようがない。
最初のセメスター(学期)は土曜日になると疲れて寝込んでしまうことが多かった。 夏の間、テレビに字幕(英語だよ)が出ることを知り、毎夕コメディドラマを楽しんだ。 こちらのテレビは面白くないと思っていたが、意味が解れば結構おもしろい。 これで、英語がかなり聞き取れるようになった気がする。 しかし、いつまで経っても英語がうまく喋れない自分に腹をたて、秋セメでは、英語のクラス(ESL)をとった。 初セメに比べ、週3時間増えたけど、土曜日に寝込むことも無くなったし、3学期目のこのセメスターは非常に調子がいい。 想像以上に英語のストレスは大きかったようだ。 英語のクラスは秋に入学してきた生徒と一緒だったが、彼らはやはりかなり疲れていた。
ということで、少しずつ楽しくなってきたボストンからの報告でした。
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ボストン通信 Vol.6 May.13, 2004
(写真はボストン・コモンの桜。。。。。。行くのが少し遅かった) 後記:桜ではないかも?
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ボストンは今、やっと新緑の季節、日本より一ヶ月遅い桜も終わり、あらゆる花の木が咲き乱れて、美しい季節になりました。 久しぶりのボストンからの報告です。
やっと、ファイナル(期末試験)が無事終わった。 このセメスター(第4セメ)は予想以上に時間を取られる授業が3クラスあって、忙しくて本当に大変だった。 3月は中間試験の後、一週間の休みがあるけど、風邪をひいてしまい、ボストン通信も書けなかった。 スキーの予定もキャンセルした。
4月30日、パット・メセニーのコンサートがタダという誘惑に負けて、試験中だというのに行ってきた。レコーディング・アンサンブルと名付けられた学生によるコンサートが1時間もあった後のP.メセニー・トリオとゲーリー・バートンの演奏は、P.メセニーのでかい音にも負けないで、 G.バートンのバイブの演奏がすばらしかった。 実はこの日が、G.バートンのバークリー副学長として最後の演奏だというのをその時知った。 彼は1960 年にバークリーの学生になって以来、バークリーの顔であったが、学長のリー・バーク(Lee Berk)の引退と共に一緒に引退するらしい。 バークリーはLee Berk のお父さんにより1945年に設立されたが、今、大きな転換期にかかっているようだ。
5月8日はバークリーの卒業式。 卒業式は年一回なので、私と一緒に入学した友人二人も、まだ1セメスター残っているけど、この日が卒業式だった。 毎年、卒業式には音楽界の大物が招かれ、学位を受けたり、コンサートをすることになっている。 昨年は、ダイアン・リーブスとエアロ・スミスのS.Tylerがきた。 今年はポール・マッカートニーとR&Bの大物が来ると噂されていたのだが、なんとビル・コスビーひとりだったようだ。 大物には違いないけど、コメディアンが来るとは、バークリーはどうなるんだろう。
バークリーに来て、早、1年と4ヶ月が過ぎた。 英語を話すのは、まだまだ難しい。 聴き取りはだいぶできるようになったけど、時々大事なことを聞き逃すことがある。 それが試験に関することとか、大事なことだと放っておくわけにはいかない。 不自由な英語で質問せざるを得ない。 今回のアレンジのクラスの先生は宿題の添削とかあまりしてくれなくて、分からない所を聞けという。 仕方がないので、そのクラスで一番よく質問をするのは私になってしまった。 一度、その先生が、ボードに書くのが面倒くさくなったのか、喋ることを書き取れと言う。 ゆっくり繰り返して言ってくれたけど、「あ、こんなことしてる!」、書き取っている自分に驚いた。 今セメも前回に続いてESL(第二外国語としての英語)2をとった。 話すのが中心のESL1 と違って、読むこととエッセイを書くのが主になり、急にレベルが上がった。 先生に、できるだろうか相談したほどだ。 時間をすごく取られるし、ああ、大変だった。 でも、先生がすごく良くて。 プロジェクトとしてのエッセイの提出は4回あったが、提出のあと添削してくれるので、それを書き直して再提出できる。 チューター(学生の家庭教師を週1時間付けてくれるのだけど、今回あまり役に立たなかった)にも相談できるので何とかいけたけど、その分時間をとられる。 それでなくても、辞書とつきっきりの作文は辛い。 英語のエッセイでは日本的なあいまいな表現はいっさい許されない。 わかりきったことでも説明がいるし、バカじゃないか、と思うこともしばしば。 最初の頃は「なぜ? 説明せよ。」という添削がいっぱいだった。 この後、英語のコースは英語圏の学生と一緒にカレッジ・ライティングに進むが、それが難しい人はその前にもう一つ英語のコースがある。 先生は次の英語のコースもとれというけど、私はもうこれ以上難しくなって、英語に時間を費やすことはできない。 日本人や韓国人の英語が苦手な学生で、カレッジ・ライティングが単位として必要な人は、ほとんど、クインシー大学など、授業料が安くて評価があまい他の大学で単位を取るのが普通になっているようだ。 今回、ESL2 のクラスを受けたので、プロジェクトとしてエッセイを提出するようなクラスは、おそらく、クリアーできるでしょう。
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ボストン通信 Vol.7 Dec.20, 2004
ボストンに来て、早いものでもう2年が過ぎようとしている。 このボストン通信も8ヶ月ぶりの登場。 その間いろいろありました。 そう、引っ越しました。
ボストンの引越風景は有名で、9月1日に一斉に引越をする。 ここは学生の街なので、新学期が始まる9月に集中してしまう。 その中に混じって汗を流しながら引っ越した。 ボストンのアパートは5階建て位が多いのだが、どういう構造なのかまだよく分からない。 ここは、ニュー・イングランドと呼ばれるように、イギリスの建築様式のようだが、とにかく古い。 ほとんど100年以上は経っているようだ。 外壁がレンガで覆われた木造建築にも思える。 エジソンがコンクリートの建物を初めて造った以前に建てられたはずなので、決して鉄筋コンクリートではない。天井は高いけど、真上の部屋の足音とか響いてたまらない。 前に住んでいたアパートの上は、退職したおばあちゃんがひとりで住んでいて、毎日夕方から深夜まで休み無く動き回って、それがひどく苦痛だった。 それがいやでここに移ったのだが、ここの上の住人も相当なものだ。 時折なので、まあ、我慢できるが。 この前は、あまりドタドタするので夜に引越をしていると思って喜んでいたら、大宴会だったらしい。 こういうとき、下の住人は天井を叩くか、警察を呼ぶのが、ここでは一般的。 パーティーをしていたら警察が来たという話は実際に聞く。 でも、ここは快適。 広いし、南東向きの4階で目の前はバックベイ・フェンスという緑地帯。 朝日がまぶしくて、年齢的なこともあってか、今セメスターは朝7時起きが続いた。 およそミュージシャンらしからぬ起床時間である。
ここはフェンウエイ・パークというレッド・ソックスの本拠地の野球球場のすぐ近く。 その距離200m位で、屋上へ上がれば野球観戦もできるらしい。 日本でもニュースで登場したと思うけど、今年は大変な騒ぎだった。 ベイブルースの時以来の、86年ぶりの優勝というから、その興奮もすごい訳。 優勝するかもしれないという日は、試合は相手の球場でやっているにもかかわらず、夕方からヘリコプターがうるさくて。 試合が夜11時頃終わると、スポーツ・バーで観戦していたと思われる人たちが、六甲おろしを歌うでもなく、ただ叫びながらフェンウエイ・パークに向かい、2時、3時頃帰っていくという姿を、私はアパートから見ていたのでした。
ボストンの消防署は有名だ。 何で有名なのかよく分からないが、有名な感じがする。 おそらく出動回数が世界一なのだろう、と思っている。 前に住んだアパートは1年半の間に3回消防車が来た。来てすぐ帰って行く。 ここのアパートは3ヶ月半で5回警報が鳴り、4回消防車が来たが、昨日は警報が1時間以上もいやな音で鳴り続いたが、消防車はついに来なかった。 昨日は当事者が連絡したのだと思うが、ほんとうに何時も早く駆けつけてくる。 一つのアパートでこんな風だから、アパートだらけのボストンではもう大変。 ボストンの煙と熱に反応するセンサーは敏感すぎて、私も5回は鳴らしたと思う。 これはピーというその部屋だけの音で、アパート全体では鳴らないが、廊下でタバコとか吸うと全館の警報になって大変である。 これだけよく警報が鳴ると誰も何の反応もしないので、本当に火事の時は危ないと思う。 ここの消防署は、寄付を募る大きなブーツが置いてあったり、Tシャツを売っていたり、我々の感覚ではよく理解できない部分がある。
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Ron Carter と
ボストン通信 Vol.8 May 15,2005
バークリーの卒業は、単位などの条件が揃えば、どの学期でも卒業できる。しかし、卒業式は年一回、5月だけなので、8月か12月に卒業予定の学生は、来年5月に卒業式に来るか、または、今年の卒業式に先に出席することができる。 少し変だが、外国人の多いバークリーでは、わざわざ卒業式だけに来るのは大変なので、先に済ませる人は多い。
という訳で、第8回ボストン通信はバークリー卒業式の様子をお知らせします。
卒業式の前日は卒業コンサートがある。 毎年このコンサートは大物ミュージシャンが来るので有名だが、卒業生とその招待客のみで一般には公開していない。 チケットの数も制限があって、なかなか手に入らなかった。 ところが、それが昨年からおかしくなってきた。 昨年はいろいろ大物の名前が噂されていたが、結局、なぜかコメディアンだった。 今年はコンサートと式の会場が隣のノース・イースタン大学の大きなアリーナに変わったので、チケットの制限はなかったようだ。
卒業式には、Kevin Eubanks (Gr), Anita Baker (Vo) それに Ron Carter (Bass) が
バークリーから学位が与えられることになっている。 多くの人が卒業コンサートでもこの3人が聞けると思ったに違いない。
コンサートは卒業生と在校生の選りすぐりで編成されていた。
ギターのBryan Baker(彼は後、YelowJacketsのメンバーに迎えられた)の奨学金授与式の後、バークリー・ジャズ・アンサンブルの演奏、初めてみる大編成のHip-Hopアンサンブル、と一気に盛り上がってきてジャズに戻った。 なかなか楽しめた。 今日はドレスアップしているのでいつもの学生の顔が別人のように感じる。
生徒といえども元々プロも多いが、中でも久々の男性ボーカルの大型新人Jeremy Ragsdaleとテナー・サックスのMike Tuckerは日本へもツアーで行っている。 今、バークリーがスターとしてバックアップしているのは、ウッド・ベースのEsperanza Spalding。 彼女は小柄ではあるが、ベースを弾きながらのボーカルもなかなかいい。 同じウッドベースのFrank A. とのソロのバトルは会場を沸かせた。
翌日は、私の卒業式らしく天候は大荒れだった。 朝風呂に入り、スーツを着て、卒業式のガウンとフード、角帽子をかぶり、写真を撮ってから行こうとしたとき、とんでもないことが起こった。 ボストンのアパートは体育館の床のようなハード・フロアーが多い。 前のアパートはカーペットだったので、この床には憧れがあったのだが、この床は怖い。 物がよく壊れる。 そう、一枚も撮らないうちに、デジカメを落として壊してしまった。 卒業式は10時からだが、リハーサルのため7時15分集合になっている。 今すでに8時前。 嵐の中、会場に着くが、リハーサルといっても10時までただ、並んで待っているだけ。 疲れた。 写真を頼んでいた友達に電話するが連絡が取れない。 何人かに写真を撮ってもらって、送ってくれるよう頼んだが、卒業式の写真は本当に楽しみにしていたのに残念。
卒業式は、紹介やスピーチ、ロン・カーターらの授与式などと進んだ。 聴き取り間違いがなければ、卒業生は約700名、外国人25%、最年少19才、最年長??才(これ、私です)。
後半は授与式、番号順に名前が呼ばれたら上がり、学長、ケビン・ユーバンクス、アニタ・ベーカー、それにロン・カーターと握手して、卒業証書ホルダーを受け取る。 行列するように上がって行くがそれでも1時間はかかった。 全員の国際色豊かな名前を全部読み上げたおじさんは本当に偉いと思った。
最後は例によって、帽子を空(天井だな)に投げるシーン。 2、30人しか投げなかった。 あそこで投げると回収できない、帽子をかぶって写真撮影が出来ないので、私も止めた。 皆が投げれば他の人の帽子を拾うことができるだが。 頭の中は写真のことでいっぱい。 今日は丸一日大荒れで、昼過ぎには雪も混じっていた5月7日でした。
念のため、まだ私は卒業した訳ではありません。
そんな訳で、今回は最新の写真が添付できませんでした。
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