第1章 バークリー入学

 

ボストン到着

2003年1月7日夕刻、ボストン・ローガン国際空港に到着した私はタクシー乗り場に向かった。 カートから重いスーツケースを、よせばいいのに、自分でタクシーのトランクに入れようとした。 嫌な音がした。 ああ、早速やってしまった。 長いフライトでふらついていたのか、重いスーツケースが車のリアに当たり、傷つけてしまった。リアライトも少し割れている。 行き先の住所を書いた紙を渡して宿に向かうが、この運転手、住所ガイドの冊子を見ながら結構なスピードで運転している。 怖い! ボストンは雪が降った後らしい。 目的地付近で宿を捜すのにぐるぐると廻って時間がかかっていたが、こちらも負い目があるので、文句は言えない。 もっとも、文句言って通じるかどうかだが。 修理代をいくら請求されるか不安だったが、何も言わないので、適当に渡しておいた。 とにかく一つクリアー。  宿は日本人のおばさんが一人でやっているB&Bで快適だった。ここに3泊してから、バークリー近くのアパートに移ることになっている。

 

二日目、1月8日(水)

朝から雪の歓迎。 これから住むことになるアパートまで行き、アパートを引き継ぐことになるバークリーの先輩に初めて会って部屋を見る。 メールの写真で見たとおりの部屋である。 早速、大家さんの事務所に契約に行く。 私の場合、「又貸し」だから普通、不動産屋へは行かなくてもいいと思うが、正式な又貸し?で不動産屋へ連れて行ってくれる。 その帰り、歩いていたら先輩のケータイが鳴った。 「うのさん、財布は?」 う! 事務所に忘れたみたい。 こんなことは生まれて初めてだ。 時差ぼけか? その後、銀行へ行き口座を開いた。 こちらでは小切手での支払いが普通なので、これは必須である。 アパートの契約に銀行口座の開設と、相手がきれいな英語をしゃべってくれれば、私でも何とかできたかもしれないがほとんど聞き取れない。 ボストンなまりはまだいい方で、ここの銀行員なんか、小さな支店でトップのように見えたけど、言うことが通じないので怒り出す始末。 この行員のように銀行とか会計など、お金を扱う部署は何故かアフリカン・アメリカンが多い。 アメリカ人には通じるので、自分の発音は悪くないと思っているのでしょうが、自分の発音の悪さを棚に上げて客に怒らないでください。 先輩には、本当にお世話になりました。 机、家具なども譲ってもらえたので、あまり新しく物を揃える必要もなく、本当にラッキーだった。 感謝!

 

三日目、1月9日(木)

今日は電話と電気の申込をした。 こういう申込は電話を使ってする。 やはり電話での会話は難しい、というより恐怖に近い。 忍耐強いオペレーターに当たればいいけど、そうでない人の場合は電話を切られたりする。 やはり先輩にお世話になった。 こういう場合、必ずソーシャルセキュリティーナンバーを聞かれるが、「日本からの学生だ」と言えばOKのことが多い。 しかし、この電気会社はパスポートをファックスで送るように要求したので、コピー屋に行きファックス送信をせねばならなかった。 その後、バークリーに行き、授業料などの支払いを済ませた。

今日は8時から友人のピアニスト、Bert SeagerトリオのNew CD発売記念ライブがある。 ライブが行われるのはReggata barというボストンでも有名なライブ・バーだ。 彼は親日家で、毎年日本へ来てライブをしている。 バークリーに願書を出すときも英語文のチェックなどをしてもらった。 先輩も誘って、バーに着くと入口付近にBertがいて、7才の時に習ったという彼のピアノの先生と話をしていた。 予約していなかったので席も後方になったが、ライブは200人を越える大盛況で、我々の席も女性客二人と相席に。 ライブの途中のMCでBertはピアノの先生を紹介し、続いて、なんと私を紹介した。 彼がどう紹介したか聞き取れなかったが、大きな拍手が起きた。 きっと、長年勤めた仕事を辞めて、年にもかかわらず日本からバークリーにジャズの勉強に来た、というようなことを言ったのだと思うが、気持ちがいい。 アカデミー賞授賞式会場で紹介された客のような気分だ。 しかし悲しいかな、こういうことに慣れていない私は、Bertが私の席を捜すも立ち上がることさえできなかった。 しかし相席の二人は私のことと気が付いて、話しかけてきた。 そしてライブが終わった後、彼に会いに行った私はたくさんの人と握手をすることになってしまった。 ボストンの人はみんな温かい人たちだ、と思った。

 

アパートをさがす

こちらで学生として暮らすには、最初のセメスター(学期)は学生寮に入って、それからゆっくりとアパートをさがすのがいいのかもしれない。 学生寮は食事、電話、インターネット、ベッドなどの家具付きだが、アパート生活の方が、高い家賃を払っても学生寮より安上がりなのである。 しかし、この年になって寮の二人部屋は辛いので、私はすぐアパートに住む方を選んだ。 このアパートはインターネットで見つけた。 ボストン・インターネット・コミュニティー(asagao.com)というサイトでは、帰国する人の不要品売却からルームメイトやサブレット募集など、ボストンでの日本人向けの生活情報が満載である。 サブレットという紅茶によく合いそうなお菓子に似た名前は、いわゆる“又貸し”のことである。 ボストンは学生の街なので、アパートの契約は新学期の9月から翌年の8月の一年間のことが多い。 それで、契約の途中で卒業したり帰国したりする人はアパートを又貸しするのであるが、それは認められているし、実際頻繁に行われている。 わたしはメールや電話での交渉の末、4人目の交渉でやっと現地に行かずしてアパートを見つけることができた。

学生寮が二人部屋と書いたが、実はOld Studentsには一人部屋が用意されている。 確かに案内書でこのことは読んだが、その時Old Studentの意味を寮に長く住んでいる学生と勘違いしてしまった。 最初の生活を始めるのに、バークリーに知り合いの学生がいれば何の問題もないが、ヘルプしてくれる人がいない場合は最初の学期を学生寮からスタートするのが賢明かもしれない。 家具などを買う必要がないし、ゆっくりアパート捜しもできる。 アパート料金も9月以外の時期とか、友達が住んでいたのを引き継いだりしたほうが安かったりする。 大家は部屋を空けておくよりも安くでも貸した方がいいのでそういうことになるのだが、更新時にもそのままの料金にしてくれることが多い。 夏はサマースクール生が使うため、寮には入れないので帰国するのもいいし、夏セメスターをとるなら夏に帰国する学生のアパートが格安でサブレットできたりする。 アパートに限らず、バークリー生活では知らないと損をすることが本当に多い。

 

チェックイン

今日、1月14日(火)はオリエンテーションデー。 チェックインでスケジュールシートや案内を受取り、今週はそれに従って行動する。 授業料納付などの手続きが全て終わっていれば何の問題もないが、私の場合アドミッションオフィス(入学許可)に行くように指示があった。 オリエンテーションが終わってそこへ行くと、予防接種のことと分かった。 留学前に必要な予防接種は、このマサチューセッツ州では、おたふく風邪、風疹、はしか、破傷風/ジフテリア混合それにB型肝炎と多い。 私は病院に勤めていた関係でB型肝炎は済んでいた。 他の予防接種についても、既に免疫を持っていないかどうか抗体を検査してから予防接種を済ましている。 抗体があるのに予防接種をするのは無駄でもあるが非常に危険だ。 ショックを起こすこともある。 かつて私の友人がボストンで予防接種をしてぶっ倒れたと言っていたが、ショック症状だったのかもしれない。 それで私の場合、子供の時かかったことがあったのだと思うが、はしかの免疫があったのでその予防接種はしなかった。 免疫を証明するものが必要という指示どおり、私は検査結果に“陽性”であるという英訳を付けて提出したのである。 このことを説明して、担当者は了解した、と思った。

次の日はImmigration(移住)のチェックインにI-20という大事な書類とパスポートを持って、朝から並ぶ。 ここで再度、コンピューター上でアドミッションに行くように指示が出ていると言われる。 長いこと待った後、昨日の上司らしき人に会い、また同じ説明をすることになった。 インド人だと思うが、自分をインディアンだと言っていたこの頑固親父はらちがあかない。 今日は重要な正午からの実技と3時からのプレイスメントテストがあるので、明日もう一度来ることにして帰った。 ビルを出たところで、よほど落胆した顔をしていたのだろう、職員らしきおばちゃんに「大丈夫か?」と聞かれてしまった。 気持ちを立て直してテストに備えよう。 試験の様子などはボストン通信の方を見て頂きたい。

次の日にインド人に会いに行くと、免疫抗体があるか自分では判断できないので、病院へ行ってドクターに判断してもらってこいという。 病院の中を見たいという気持ちもあったので従うことにした。 電話で予約を取って、私の提出した検査結果などの入った封筒の表に依頼内容を書いてくれた。 私の英語力を心配してのことであろう。

翌週火曜日、言われたとおりアポイントの5分前に、バークリー近くの小さな病院へ行き受付に封筒を渡した。 受付の彼は封筒の表を読んでいたが、初診時の質問用紙を渡し書くよう指示した。 英語なので時間がかかる。 サインをもらうだけなのだが? 遅れて指定された部屋へ行くと、ドクターが一人迎えてくれた。 日本のように看護師はいない。 彼は封筒の表に書かれた依頼文を読み、中の検査結果を見ていたが、待つように言って部屋から出て行った。 簡素な診察室に一つだけ器械が置かれていた。 日本ではもう見ることができないであろう、分銅で測る体重計である。 “古い物を大事にするからか? 重量級の患者が多いアメリカでは普通の体重計は使えないのか?”などと思いながら待っていたら、ドクターが注射器を持って現れた。 “No!” 説明してやっとサインがもらえたが、封筒の表には分かりやすく書いてあったのに受付もドクターもよく読んでいない。 ドクターはインド人が検査結果の判断ができないことについて、「何でこんなことが分からないのだ!」と憤慨していたが。 会計用紙はその場で破られ、「お金は払わなくていい」と言ってくれた。

直ぐにインド人に会いにオフィスに行き書類を提出した。 全て終了。 これで受けるクラスを減らしたり増やしたり選べるようになったので、その足でアド・ドロップのオフィスに行く。 そのオフィスでは再び、アドミッションへ行けと言う。 結局、コンピューターの問題でステータスが変わらなかっただけであったが、疲れた!

オリエンテーション

テストアウトというのは試験のみ受けて単位をもらうことであるが、正式にはCBX(Credit By Exam)という。 バークリーの授業料は高いので、奨学金のない学生や早く卒業したい人はテストアウトという手を使う。 全てのクラスがテストアウトできるという訳ではないが、毎年すごい勢いで授業料が上がっていく(この頃年約7%)中での自衛策である。 もちろん親のスネがかじれる人はこんなことをする必要はない。 ただし、テストアウトは成績がつかない。 テストアウトできるクラスというのは、自分にとって易しいクラスということなので、テストアウトは即成績の低下につながることになる。 また、テストアウトは結果として難しいクラスから始めることになる。 英語があまり得意でない人は、特に最初のセメスター(学期)は授業が聞き取り難いので、できれば避けたほうがいい。

私の場合は自分で稼いだお金なので、大事に使いたい思いで在学中に5クラス(10単位)のテストアウトをすることになった。 プレイスメントテストで得た分、3クラスを加えると、1セメスター分余りはテストのみで獲得したものだ。

初セメスターで、ほとんどの学生がテストアウトの試験を受けると思われるクラスに”Music Technology”がある。 これは全学生の必須科目で、初セメで全員のスケジュールに組み込まれる。 最初の2週間でかなりの回数の試験が設定されており、その内の一回を受けて受かればその2単位が獲得できるのであるが、このクラスのテストアウトは話題に事欠かない。 ”Music Technology”というのはオーディオ関係のクラスであり、私の得意な分野でもある。 バークリーのウェブサイトに実際の半分量の試験問題があり、自己採点できるようになっている。 私がやってみると76点であった。 合格点数は70点以上であるが、その時何故か80点以上と思っていたので対策をたててから受けることにした。 どうやらいつも同じ試験問題が出るらしい。 過去の試験問題を手に入れた。 この試験の質問文と選択用の回答文は何かおかしい。 簡潔過ぎて意味が分かり難い。 過去何回かの問題集は先輩たちにより答えも出してあるが、一問だけ答えが分からないのがあるらしい。

試験場へ行ってIDカードを見せ、試験問題を受け取る。 以前は入口に問題用紙が置いてあり、学生が一枚ずつ取っていたらしい。 1枚を持ち帰るため2枚取っていく人があり、それで私は恩恵を受けのだが、今は手渡しになった。 私は天才か?と思うぐらい、あっという間に終了した。 翌日だっただろうか、インターネットで試験結果を見た。 やはり、答えが不明の一問のため98点であった。 しかし、100点も何人かいる。 数回ある試験は同じ問題が出るということで、ある友人は辞書に問題番号と答え番号を書いてカンニングし、見事受かった。 それをそっくり真似た別の友人は、その後に試験問題が替えられたため、不合格だった。 彼は一回切りの試験を2回目も受けて、それは合格したが、後で発覚して無効になった。 合格点にわずかに到達しなかったが、後日合格点70点に引き上げられていた学生もいた。

 

アド・ドロップ

これはあめ玉の類ではない。 Add & Dropである。 セメスターが始まってから2週間の間に受ける授業を加えたり、抜いたり自由にできる。 クラスには定員枠や受講資格があり、どのクラスでも受けられるというわけではないが、一度授業を受けてから変更できるのはありがたい。 この頃のアド・ドロップの手続きは少し面倒であったが、最近では自宅からオンラインで簡単にできるようになった。

私の初セメでのアド・ドロップであるが、Music Technologyをテストアウトしたので2単位分のクラスを加えなければならない。 ESL (English as Second Language) のクラスをアドしようと思い、アド・ドロップオフィスに行った。 このときアドバイスセンターに行くように言われ、アドバイスセンターでは英語の試験を受けていないので、General Educationオフィスに相談に行くように言われた。 私がそのオフィスに行って待っていると、Chair(学部長)が興奮して出てきた。 先ほど、定年退職してバークリーに入学されたという60歳の日本人が来られた直ぐ後に私が行ったかららしい。 「18歳ぐらいか?」と聞くので、「そうだ」と私。 「どこから来た?」「京都」 壁を指さすので、見ると日本画がたくさん掛けてある。 親日家のようだ。 「今日、一時からの試験を受けるか?」と聞くので、受けることにした。

この英語の試験はESPAといわれるもので、アメリカ学生の英語力を試す試験のようだ。 筆記試験のみであるが、途中スラングの意味を問う問題がたくさん出てきた。 スラングの問題が出るなんて、なんてアメリカらしい。 日本語の義務教育でこんなのが出たらどうなるだろう? 出題者は袋たたきだろうな。 金田一さんはなんて言うかな? いい加減に答えを選んでいたら時間が無くなり、最後の読解力の問題ができなくなった。 得意だったのに!

当然のように悪い点数をひっさげてアドバイスセンターに帰った私は、ESL1からのスタートである。 ESLは週に3回、1時間のクラスがあり、3単位である。 1単位オーバーする。 アドバイスセンターは今のDiplomaコースをDegreeコースに変えることで、僅かな差額で、受講できる単位数を13単位から16単位まで増やすことができる、と教えてくれた。 とりあえずESL1をアドした。

この後、コースを変えるのは大変なので他の選択肢を模索した。 ここへ来るまで日本でコントラバスの弓引きを未だ習っていないので、Arco Workshopというラボ (Lab)をとりたいと思った。 ラボというのは、楽器のグループレッスンのようなクラスで、週一時間のクラスで0.5単位という半端な単位である。 0.5単位というのはラボだけなので、もう一つラボをとらないとすっきりしない。 Blues Bass Labが定員8名でいっぱいだったが、担当教授の許可を得、更にベース部門のChairの権利破棄証(Population Waiver)をもらって加えた。 残り1単位はアンサンブルクラスを加えたので、結局ESLはドロップした。

通常、週1時間のクラスは1単位に相当するが、ラボやアンサンブルはその半分の単位になる。 同じレッスン系でも個人レッスン (Private Lesson)は週30分で2単位だ。 考えに考え抜いたアド・ドロップであったが、今までにあったクラスと併せてラボ4クラス、アンサンブル2クラスになってしまい、結果は殺人的な初セメのスケジュールに追われることになる。